感情を止めるのは難しい
そもそも感情など止められるものではありませんが
タイトルからお察しされたかもしれませんが
私は今、
自分の感情ほど余計なものはない、自分の感情を止めたい、と思っているのです。
きっかけとなる出来事がありました。
その出来事から、
今の自分には今の自分の感情が要らない
と急に分かったのです。
これは個人的な気付きです、
誰にとっても感情は大切なものです。
大切にされてください。
あくまでも今の私の話なんです。
多分このブログにも書いたと思いますが
·····ブログを見直しました
記憶違いでした
ブログには書いていないです
ラジオトークでお話ししたのでした
目の前に圧倒的な芸術が現れた時、
自分の感覚や感情、感動を元にその芸術に触れていたのでは、自分の範囲でしかその芸術を受け取れないと思ったのです。
いいえ、
物事とは、その時の自分で受け止めるものですからそれでいいのですよ、
でもその時の私は、
その芸術を目の当たりにし、芸術に触れる前に自分が価値を決めつけているような気がしたのです。
そして
自分に向ける言葉として厳しいかもしれませんが
「自分の分際で」
「何も知らないくせに」
「自分は分かっているつもりなのか」
などと自問自答しました。
ほんの数秒だと思いますがね、
そのハッとした時に自分で出した結論が
「自分の感情など要らない」です。
✮
今月の妖精の庭に書かれてあったフローラさんの言葉に、この感覚とリンクすることが書かれてありました。私には同じことをフローラさんは言っていると思いました。
ただ、同じことを(同じようなこと)なのに、私の言葉は厳しくて、フローラさんの言葉で読むと心が潤うんです。まさにフローラさんから出るものは愛由来だと思いました。
同じことでも、愛に由来した方から言うのか不安に由来した方から言うのか、全く違いますね、
言葉のチョイスはとても大切なことですね、
ここの話題とはちょっと余談でしたが、重ねて大切な気付きでした。
「感情は要らない」
「感情は要らない」
と、日々の営みの中で
ふと、ふと、折に触れて思い出しています
「感情は要らない」
「感情は要らない」
。。。
私がここで言う「感情は要らない」とは、
例えば
自分が話したり書いたり歌ったり
などと表現する時に
感情があるということは
それをどう思われるか気になるということ。
気持ちいいなあと思ったこと
嬉しいと思ったこと
やりたいと思ったこと
楽しかったこと
など本来そのまま表現してもいいはず。
でも
上手い下手が気になり
つまり人の評価が気になり
自分からの表現ではなくなり
人への印象を気にした表現になってしまうんです。
それだと途端に
怖くなったり戸惑ったり、、変に考えてしまい
表現が楽しくなくなってしまうんです。
となると、
私がここに書いている止めたい「感情」とは、
「価値判断」「ジャッジ」「正誤判定」「評価」
「思考」、、(全部同じことだわね)
のことなのです。
さも自分の「感情」であるかのように
瞬間的、継続的に常に「ジャッジ」を発動させている、そのことが自分にとても重たいのです。
自分の中でこんなにも重たくて邪魔だと感じている
でも止められない。
止めるのがこれほど難しいとはね。
お腹いっぱいなのに、食べるのを止められない
みたいな感じね。
「感情を止める」
の継続報告でした。
そして
難しいなーと
へこたれている報告でした(*^^*)
今春初!
我が家のタラの芽
この後続々と続きます
楽しみ🥰
- ̗̀𖤐
お読みくださりありがとう
また書きます
ラジオトーク
こちらで話しました
⬇️
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